竹の質が竿師の質

【竹の質が竿師の質】
それぞれの竹の特性を見きわめ、火であぶつうるして形を整え、仕上げの漆塗りまで竿師が一人で作りあげる和竿は、大量生産品からは得られない優美さと微妙な手触りで、今も人気が衰えないのです」という。まさに、江戸のモノ作りが生んだすい〃工芸の粋〃なのである。日本における野球は、明治五年(一八七二)に、東京大学の前身である第一大学区第一中学校で、アメリカ人教師のホレース・ウィルソンが生徒たちに教えたのが最初だといわれている。やがて明治一○年になると、アメリカヘ鉄道技術を学ぶために留学し、野球に魅了ひらおかひろしクラブされて帰国した平岡照が、勤め先の新橋鉄道局で「新橋アスレチック倶楽部」を結成し、日本初の本格的野球チームが誕生した。ただし当時の野球は、本場のアメリカでしこうさくども、ルールがどんどん変化していく試行錯誤の時期にあり、現在のルールとはかなり異なっていた。あたらしみわこ野球体育博物館の学芸員・新美和子さんによると、「明治一六年に、東京大学予備門のイギリス人教師、F・W・ストレンジが記した『OUTDOORGAMES』という本が、日本で出版されました。この本を見ると、当時の野球ルールは、打者が投手に、ハイボールやローボールなど、投球の高さを一球ごとに要求できたり、四球ではなく、七球でやっと一塁に行けたりと、現在とかなり違っていたことがわかりま。グラブやキャッチャー・マスクもほとんど使われていませんでした」とのこと。